「おわびも大事」 副教会長
  

  八月の交流会は本当にありがたい一日を過ごさせていただきました。講師の先生方のご経験から基づくお話も勉強になりましたし、それを元にした班別懇談もとても有意義な時間だったと思います。何より皆さんの和やかな話声が「うれしくたのしくありがたく」を思い起こされ、体現するということはこういうことだと思わせていただきました。

さて、最近知り合いから「自分が正しい症候群」という言葉を聞きました。知り合いもテレビで見たと言っていましたが、今問題になっているあおり運転の原因のひとつとして言われているそうです。自分の(正しい)進路を邪魔されたから相手に仕返しをするといった感情らしいです。それが度を越してあおり運転のようなことになってしまうのでしょう。
よく考えてみますと、運転の場だけではなくてもこういうことは日常生活でよくみられることのように思います。身近な例をあげれば「言ってやらなきゃわからない」のような言葉などよく耳にするのではないでしょうか。自分が正しい=相手が間違っているのだから言ってやらなきゃと、自分勝手な正義感で平気で相手を傷つけるようなことを言ったりやったりしていないか、自分でも反省しないといけないと思いました。確かに正しいと思うことを行動にうつすことは大切なことです。でも自分が正しいと思い込むこととは別問題だと思うわけです。

教祖様は神様に対してこれとは全く真逆な姿勢を貫いておられました。自分は凡夫だから知らず知らずのうちにご無礼なことや不行き届きなことをしているかもしれないと日にち神様におわび申されていたのです。教祖様はこの「おわび」ということを「お礼」、「お願い」と同じようにとても大切にされていました。ついつい忘れがちな「おわび」を私も教祖様に神習っていきたいと思いました。


 
 
  「和らぎ」バックナンバーへ